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2016年03月19日

■ ちょっと公開することにした

■ ちょっと公開することにした

6年位前に作った紙製の写真立てがある。
量産しようと思えばA4用紙で一度に6枚作れるコストパフォーマンスの良さがポイントで、基本的に「ばら撒き・短期使用」のために設計したものです。
これまでも時々作っては配っていたのだけれど、ふと、こういうものを公開するべきじゃないだろうかと思って、公開することにした。

【写真】
paperPhotoStand_zon

【印刷用PDFファイル】


★公開に至ったもう一つの理由は、いわゆる「サンキューゲイツ」である。
このところ、簡易な利用ばかりだったので、図形はパワーポイントの作図機能を使っていたし、それで特に問題が表面化することはなかった。
しかし今回、絶対に内法が89mm or 127mmという、誤差の許されない印刷において、誤差17mmという信じられない結果を返してくれたので大いに落胆してしまったわけです。
もちろん、パワポにそんなものを期待した僕が悪いんですが。

それで、久々に元OpenOffoce.org 現 LiberaOffoce の Draw を使用して、JWWで製図したファイルから(ツールを使って)WMFを経由して図形として取り込み、 Draw内部で mm単位のガイドを使って位置合わせをして完成しました。
ふぅ(溜息)
……Linuxに帰りたい。

posted by ZON3 at 23:05| 日記

2015年03月13日

■ 10パーセントにすがる

■ 10パーセントにすがる

この間にひとつ、あの「イスラム国」を題材にしたテキストを思いついたのだが、忘れてしまった。
まぁ、長くなりそうだから忘れてよかったと思う。
長い割に面白くない。

頭のどこかで「誰も読まない話を考え、誰も見ない映像を描いて」いる。
その9割を忘れ、残り1割から「そういえば」と思い出す。
そんなことを繰り返している。
でももしかしたら、思い出しているのではなく、9割を推論で組み立てているのかもしれない。

この10日間は忙しかった。
まともに寝ても起きてもいない。

ただもう、とにかくこうやって、「考えを書く」事をしないと、どんどんキータイプの力すらなくしてしまいそうなんである。怖い怖い。
普段は考えるよりも、書き写している感じのタイピング。目に悪い。
もちろん、描く方がより良いと思っている。
しかしなかなか描けない。

何を描こうとしていたっけ。
道具の準備が終わるころには忘れてしまう。
だから、描くだけならいつも持ち歩いているボールペンが一番良い。

posted by ZON3 at 18:11| 日記

2015年03月02日

■ 学ぶこと、思うこと

■ 学ぶこと、思うこと

先日、講談社の復刻版クロウカードの販売が納得できない件についてちょっと書きました。
「意地でも定価以上では買わない」
……という意気込みで、ほぼ毎晩ショップめぐりをしていましたが、やっとこ、注文ができるところを見つけて、なんとか発注しました。

……というか、こんなに苦労しなくちゃいけないなんて、やっぱりおかしい。
書籍のルールを破ってないだろうか。ほんとに。

さて。
図書館へ行く暇は何とか見つけているものの、読む時間がほとんど無いので、画集や写真集をながめています。ほとんど記憶に残らないので……同じ画集を二度は楽しめる、とかなんとか。

お名前はよく知っている方で「四谷シモン」氏の写真集を借りてながめています。
「生き人形」系とも、キャラクター系とも違う、でも息吹を感じる……というより、かつて生きていて、今は亡骸になっている、「死んだ人形」みたいな、また、「生きながら死んでいる」という、人形の立ち位置をすごく主張している(人形自身が)の印象を受けて、いろいろと癒されます。

醜いは美しい。美しいは醜い。
生きているものは死ぬ。
死んでいるものは「生きているかもしれない」

よく死んでいる人形ほど、生を感じさせる。

いずれにせよ、人工物は美しい。
この本にも「臭わない」という、「確かに」な一言が添えられていた。

さてさて。
かつて大学時代にも経験したのだけれど、あまりにも何層にも塗り重ねられた塗装面が破綻した看板を、どうにか修復しようと戦っている。
だがもう、塗りつぶせない。水性も油性も、どちらの系統を使っても、何処かの層が溶けて色が浮いてくるのだ。
今日までチャレンジしてみたが、ダメだった。

だから、かつてやったように解決しようと思う。
地肌まで削り落とすのだ。

これからサンディングの消耗品を買いに行く。

posted by ZON3 at 19:15| 日記

2015年02月16日

■ なんだろう、この置いてけぼり感覚

■ なんだろう、この置いてけぼり感覚

今回、日誌を再開するにあたって、日記ファイルのてっぺんに日付を入れて書き溜め、その後書きあがったところで日付を入れて、書き出しているのですが。

タイトルオンリーです。
なんだろう、この置いてけぼり感。

前回、2月10日で、今日16日?

え、約1週間?



この間の記憶がない。

いや、無いってーのは言い過ぎだけれど。
何だろう、この現実感のなさ。
(読み返す)
あ、これはもう書いてる。
そう、現実感がないんだな。

スマホのカレンダーを見ると、いろいろと病院に行ったり、イベントこなしたり、家族のためにあちこち行ったりしているわけで。
あと、暇も無くはなかったはず。
図書館にも行ってるし、子どもとも遊んでるし、レンタルビデオ屋にも通っている。
ニコニコ動画もよく見ている。

だけど、「このくらい」という量的時間感覚がないなあ。

さて。
本日のメインの話題はそっちじゃなくてエディター。
超久しぶりにEmEditorを使い始めている。

うーむぅ。

昔これを有料で使っていましたが、多分当時のライセンス番号は使えなくなっている。
それで、無料版をダウンロードして使ってみましたが、なんか、昔の有料版に近いレベルの機能が使える。
とりあえず、これでいいやと思う。

うーむ。
でもCmemo使いたいなぁ。
個人的には昔のLinuxデスクトップで、Wnn7(有料辞書付)とCmemoの組み合わせが文書入力として一番体に合っていた。

崩壊が始まったのは入力サーバが変更になって、Wnnがきちんと動かなくなってから。
Wnn8は、なんとかする前に心が折れた。
Linuxの場合、かな漢字変換サーバーとデスクトップの間に入るプログラムっていうかサービスっというかがあって、Wnn8はそこが致命傷になってしまった。
時代的なこと、当時新しくなっていったデスクトップに対応した入力が普及し、Wnnは携帯電話やスマートフォンに市場を移し、多分、僕の知らない間にデスクトップPC市場から去って行ってしまったように思う。

また、32bitと64bitのライブラリとか、新しいデスクトップとか、それから、ファイル名に関係することなんだけれど、ファイルシステムがUTF8化(注、この表現は厳密には正しくない)してしまったりとか、まぁいろいろあって。

仕事でコンピュータを使う比重が管理から文書へと傾いて。

2足のわらじが履けなくなってしまった。

ただし。
失ったものは仕方ないとして、では今の状態に喜びがあるのかというと、無い。
Windowsを使いながらも、たまるのは不足な心ばかりです。
ただし、ただし、ここから積極的に離れる理由もまた無く、「何かメリットはないものか」と使い続けている感じです。

うーむぅ。
Microsoftさんが、OfficeをLinuxで動くようにしてくんないもんか。
ぶっちゃけ、去年Officeを2つも買う羽目になったよ。散財だよ。このお金で新型のパソコン買えちゃうよ、うちみたいな田舎でも。
職場がOffice使ってて、支給は無いので、バージョンをわざわざ揃えて買ったよ。
データのやり取りにものすごく制限があるから、個人情報を含まない、バラパーツのデータをメールとかでやり取りして、職場で組み立てて出力しているよ。面倒だよ。

Office365ってどうなんだろ。
イメージ的に、電話と同じで一人で使ってもメリットを感じないような説明文だった。個人でもいけるものなのか。

どれもこれもOfficeがらみだよ。
いやいやながら、そこそこ使いこなしている器用な自分が嫌だよ。

いかんいかん。
どうやっても不満しか出ないや。

とは言え、うーむ、マルチメディア系のツールは確かに充実している。
でも、使っていて楽しいかは、また別だしなー。

思考が堂々巡りしている。
この回転で発電できればいいのに。(腐ってる)

posted by ZON3 at 22:36| 日記

2015年02月10日

■ 何を書こうとしていたのか

■ 何を書こうとしていたのか

以前にも、このタイトルをつけたという、おぼろげな印象がある。
そして、それはあり得るな、という実感がある。

思い出せると嬉しいのだけれど。

さて。
たぶん一つはこれ。
忘れるということに、周りの共感を得られないことについて。
障害や難病や介護や、難儀なことが幾つもあるなかで、そういう世界にいると、決まって周囲の無理解の話題は出てくる。だから僕は、共感が難しくても、「そういうものである」と、理解しようという姿勢は出そうと思う。共感のしづらさは、わかっているつもりだ。
その上で、やはり共感してもらえないことが悲しい。

端的に、忘れるとしか表現しようがないのも、まあ、そのせいかもと思うんだけれど、こうして日誌を書いて、書き表された『実感の乏しい』文書を読み返してみて、ふと、思う事ができる。

そう、実感がなくなっていくのが悲しいんじゃないだろうか。
残されたものは、動かしようにない現実で、状況で、確かな証拠だ。
理性はそれを事実だと理解する。

でも僕はそれを『確かに』は『思い出せない』んだ。

関係して、寂しくて、奥さまの体を揉みながら、その存在する「質」を指に覚えさせたくてたまらない。しかし、肩凝り体質の悲しさ、ついつい「ツボ」を発見して腰痛・肩凝り・頭の重みをほぐすのに夢中になる、自分で自分をマッサージできればと、いつも思ってしまう。
とりあえず今は、しかりつけたり、よしよしと撫でる、娘二号や息子一号のあごや手足、頭の形をなんとなく覚えている感じがする。でもこの子らは成長期だ、形は変わる。

本当に覚えているのかは分からない。
ただ、実感として、触覚が形や質感(固まりとして、マッスともいう、質)を理解している気はする。
ただそれ、触感を言語化するのは難しい。視覚や聴覚に無い、触覚独特の情報は、粘土でもこねて形作らないとどうしようもない気がする。それすらも、違う気がする。

まぁそんな感じで、やりかけた用事が終わったのかどうかすら見過ごして、付箋やメモだらけの机になる毎日です。

さてさて。
アマゾンでマイナス評価をしようかと思ったけれど、それも違う気がしてここに書く。
発端は、娘一号が最近夢中になっている「カードキャプターさくら」、あるきっかけで娘一号は話題の「妖怪ウォッチ」ではなく、この懐かしの名作に夢中になってしまった。
幸運なことに、講談社の「なかよし」が60周年だかで、この「カードキャプターさくら」が取り上げられている。
でもちょっと調べたら、毎年キャラカレンダーが出ていて驚いた。長い人気だね。
さてそれで、物語中のアイテムであり、トランプとタロットを合わせたような「クロウ・カード」が、かつて講談社から売られていた。そしてこの度、復刻再販されるというので、予約しようと思ってアマゾンとかを見ていたのだが、……。

何かおかしい。と思った。商品情報がいつ見ても「予約可能」にならず、販売日になってもどこの書店でも売っていない。そして「現在注文できません」というステータスに変わっていた。はっきりとは書かれていないが品切れらしい。
妙な空気だった。
本当に販売されたのかを疑いたくなるような、空気だった。
そして、なぜか中古品とか「新品」が定価の1.5倍以上の値段で売られていた。
ニャー。

だもんで、不買を呼びかけようかと思った。
もしくは定価以上は意地でも払わない。適正価格とは言えない。

まず、出版元がなくなっているのならいざ知らず、販売元は大手の講談社である。
なもんで、プレミアがつくとか、希少価値が付くのはおかしい。
しかも、発売日の三日以内の話です。
新品未開封で売るなら、そもそも買うなよ。
特に Amazon は、第一義にはオークションサイトではないはずで。

これ、一応書籍扱いだったと思う。形はカードだけれど。
だから、法律に詳しくないけど、「定価」とか「再販制度」に引っかかるんじゃないだろうか。

単に入手しにくい状況を作り出して、価格を上げているのだとしたら、明らかな犯罪だと思うのだけれど。
出版社は販売はしないものだろうから、それは大変だと思うけれど、どのくらい購入意欲のある人がいるのかは、把握していると思う。

……と、ここまで書いて、スマホのアラームで中断した。
会議の予定を完全に忘れていたのだ。

だから、この話はここでおしまい。
posted by ZON3 at 23:27| 日記