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2015年02月10日

■ 何を書こうとしていたのか

■ 何を書こうとしていたのか

以前にも、このタイトルをつけたという、おぼろげな印象がある。
そして、それはあり得るな、という実感がある。

思い出せると嬉しいのだけれど。

さて。
たぶん一つはこれ。
忘れるということに、周りの共感を得られないことについて。
障害や難病や介護や、難儀なことが幾つもあるなかで、そういう世界にいると、決まって周囲の無理解の話題は出てくる。だから僕は、共感が難しくても、「そういうものである」と、理解しようという姿勢は出そうと思う。共感のしづらさは、わかっているつもりだ。
その上で、やはり共感してもらえないことが悲しい。

端的に、忘れるとしか表現しようがないのも、まあ、そのせいかもと思うんだけれど、こうして日誌を書いて、書き表された『実感の乏しい』文書を読み返してみて、ふと、思う事ができる。

そう、実感がなくなっていくのが悲しいんじゃないだろうか。
残されたものは、動かしようにない現実で、状況で、確かな証拠だ。
理性はそれを事実だと理解する。

でも僕はそれを『確かに』は『思い出せない』んだ。

関係して、寂しくて、奥さまの体を揉みながら、その存在する「質」を指に覚えさせたくてたまらない。しかし、肩凝り体質の悲しさ、ついつい「ツボ」を発見して腰痛・肩凝り・頭の重みをほぐすのに夢中になる、自分で自分をマッサージできればと、いつも思ってしまう。
とりあえず今は、しかりつけたり、よしよしと撫でる、娘二号や息子一号のあごや手足、頭の形をなんとなく覚えている感じがする。でもこの子らは成長期だ、形は変わる。

本当に覚えているのかは分からない。
ただ、実感として、触覚が形や質感(固まりとして、マッスともいう、質)を理解している気はする。
ただそれ、触感を言語化するのは難しい。視覚や聴覚に無い、触覚独特の情報は、粘土でもこねて形作らないとどうしようもない気がする。それすらも、違う気がする。

まぁそんな感じで、やりかけた用事が終わったのかどうかすら見過ごして、付箋やメモだらけの机になる毎日です。

さてさて。
アマゾンでマイナス評価をしようかと思ったけれど、それも違う気がしてここに書く。
発端は、娘一号が最近夢中になっている「カードキャプターさくら」、あるきっかけで娘一号は話題の「妖怪ウォッチ」ではなく、この懐かしの名作に夢中になってしまった。
幸運なことに、講談社の「なかよし」が60周年だかで、この「カードキャプターさくら」が取り上げられている。
でもちょっと調べたら、毎年キャラカレンダーが出ていて驚いた。長い人気だね。
さてそれで、物語中のアイテムであり、トランプとタロットを合わせたような「クロウ・カード」が、かつて講談社から売られていた。そしてこの度、復刻再販されるというので、予約しようと思ってアマゾンとかを見ていたのだが、……。

何かおかしい。と思った。商品情報がいつ見ても「予約可能」にならず、販売日になってもどこの書店でも売っていない。そして「現在注文できません」というステータスに変わっていた。はっきりとは書かれていないが品切れらしい。
妙な空気だった。
本当に販売されたのかを疑いたくなるような、空気だった。
そして、なぜか中古品とか「新品」が定価の1.5倍以上の値段で売られていた。
ニャー。

だもんで、不買を呼びかけようかと思った。
もしくは定価以上は意地でも払わない。適正価格とは言えない。

まず、出版元がなくなっているのならいざ知らず、販売元は大手の講談社である。
なもんで、プレミアがつくとか、希少価値が付くのはおかしい。
しかも、発売日の三日以内の話です。
新品未開封で売るなら、そもそも買うなよ。
特に Amazon は、第一義にはオークションサイトではないはずで。

これ、一応書籍扱いだったと思う。形はカードだけれど。
だから、法律に詳しくないけど、「定価」とか「再販制度」に引っかかるんじゃないだろうか。

単に入手しにくい状況を作り出して、価格を上げているのだとしたら、明らかな犯罪だと思うのだけれど。
出版社は販売はしないものだろうから、それは大変だと思うけれど、どのくらい購入意欲のある人がいるのかは、把握していると思う。

……と、ここまで書いて、スマホのアラームで中断した。
会議の予定を完全に忘れていたのだ。

だから、この話はここでおしまい。
posted by ZON3 at 23:27| 日記

2015年02月03日

■冬の節

■冬の節

スマホでもキーボードを使っているのだけれど、矢印キーの挙動が違うのが、まだ慣れていない。

さて。
気がつけば2月になっていました。
前回日誌を書いてから、本日までの『間』の出来ごとが思い出せません。
つまり、三日だか四日だかの実感がほとんどありません。
思い出せないとは、そういう感じです。

がんばって思い出してみると、日曜だと思うけれど、子連れでショッピングモールに行った気がする。
たぶん。
他は何を?

さて。
中断できないなら、それでも、機械と組んで出来ることがあるのではないか。
問題は、「セキュリティ・リスク、あと責任」とうるさく言われる現在にどう向き合うのか、という点。

やろうとしていることは、機械と組んで、記憶の足らない部分を補うこと。
例えば、機械というのは、「待て」と支持するればずっと待ってくれる。一年でも。
そこは問題ない。でも、何かの作業をして、その途中で中座したまま、一ヶ月、一年、待機させたら、それは「セキュリティ的にハイリスク」な状態です。
『何かあったら、責任取れるの?』
という話になる。
すると僕は「責任能力がありません。」と言うしかない。実際ないのだから。
さらには、「責任が持てないのに、危険なことをしていいのか」という話になる。
理屈では分かる。
それはやらないほうがよいのだ。
でもそうしたら、僕は行動を制限されてしまうのだ。

どうしたらいいのか。

他人様に迷惑をかける気はもともとありません。
悩ましい。
今更、比較的安全だった時代を懐かしんでも仕方が無いのは分かってはいるけれど。
どうしても「なんでこんな苦労をしなくちゃいけないのか」という感情は消えない。

冬も節目を越えて春になろう。
地元では、もう一度、寒の戻りがある。

春を待ちながら、漠然と将来へ期待するのも、随分ひどい自己欺瞞な気がしている。
posted by ZON3 at 20:59| 日記

2015年01月30日

■一月が終わるなぁ。

■一月が終わるなぁ。

その昔、の、来週くらいだったか、サイトが止まってしまった。
たぶん、perlのCGIで作っていた仕組みが負荷になったんだろうなぁとは思うし、そこの管理会社が予告無く(もしくは予告とは分からない感じで)システムの更新をして、結果、スクリプトがうまく動かなかったんだろうなぁとは予想されるんです。

それで「さくら」に移ってきて、もう何年か経つというのに、いまだに再建できていないのが悲しい。

堂々巡りになっちゃっているのが一番の原因で、……。
まず、方針は静的なHTMLのページを大半にしようと思っています。
自宅のLinux環境を失ってしまったので、保管したデータから静的なページを再建するために、
  • A.一つにはデータからテキスト手打ちで修正してHTMLを生成する。
  • B.または一度CGIを立ち上げてもとのサイトを復旧して、徐々に削って移行する。
……大きくはこんなところなんですが。

手段A.がベターなのですけれど、……記憶が、維持できない。
ここにこうしてタイプして、保存しようと試みるのです。
(このあたりはなかなか他人に共感してもらえない、悲しい)

さて。
動的なページはどうしよう。
実は元の日記ページは結構好きだった。
途中でVineLinuxの活動を始めた当たりでブログ的なことをやろうとして、結果、管理が破たんし、ページもずいぶん見づらくなった。

よく考えてみたら、その時のパッケージャーページ「Cmemo for linux」のページこそ、この「さくらブログ」でやるべきかもしれない。
うむぅ。
この「さくらブログ」をブログにして、日記をFSWikiで復帰させるべきか?
今、気付いたけれど、これが答えのような気がしてきた。

も少し考えてみよう。
posted by ZON3 at 18:30| 日記

2015年01月25日

■使い物になったのは嬉しいけれど

■使い物になったのは嬉しいけれど

タイトルに体言止めが多いのは、この一年ほど仕事とかで書いているテキストの影響が少なからずあります。
……仕事で文を書いているとは言っても、物書きではなくて報告ですが。
ほんのわずかにクリエイティブ。でも創造性はあまりない内容。

事実というものは、存外、伝えるのが困難で、ニュアンスも含めて伝えるのは、実に難しいと思う。
まぁ、古典的電子掲示板(BBS)の時代からの人間なので、その「足らず」の部分は致し方ないと思う。逆に僕の時代の人間は、ただテキストだけの文の文面は半分も信じていないと思います。まず「これってどういう意味かな」と考える。だから、疲れる。だから、関係無い文はスルーしたい。

単品の言葉で「死んで」とあったときに、そこにイロイロなシチュエーションと前提と結末があり得る。
この頃よく書店で「漫画の名言」というジャンルの本がありますが、あれもやはり、漫画本編を踏まえていないと、その単品の言葉だけでは真実が伝わらないと思います。

ちなみに、「○○○○○、死んで!」みたいな言葉が漫画ワンピースでも出てきます。知っている人は、「ああ、あれ。」と分かるでしょう。
話を戻して、正確に伝えにくいなら、曖昧さを残しながら文を書くのもテクニックの一つで、それで最近章文タイトルに体言止めが増えたという次第です。

ほら、たったこれだけでこんなに長い。

さて、主に予算の関係で、時代から遅れたPC環境で作業を続けてきましたが、少しばかりお金が用意できたので、その範囲で最善の運用を模索しました。
若干、「ああ、あれが手に入れば……」というタラレバの部分も残りましたが、何とか、完成しそうです。

結論としては、コンピュータ本体はこのまま。
運用に便利なように構造をいじります。
後は、仕事上の連動をどこに持っていくかですね
とにかくそれが、最大の問題。

僕は、今の職場の中でマイナーグループの所属なので、職場の用意している業務システム上で仕事を完結できません。というか、システム担当との連絡係の同僚も、同一システム上に組み込むのを諦めているところです。
自分の仕事を分離させたい一方で、業務上残さなくてはいけない部分がネックになってます。

今回、仕事でも使えるようなPC を用意して、どうかこの事態の終息を図りたい意図があります。

来週から運用しつつ、なんとか、出口を探したいですね。

posted by ZON3 at 21:16| 日記

2015年01月22日

■手を動かしたいけれど、頭が動かない

■手を動かしたいけれど、頭が動かない

今、自分が何を書きたいのか、自分でもよくわからない。
少しバックアップデータを見て、昔の日誌と比べてみたら、例えば以前は、「この日、この時にこの話題を書く」ことに、何らかの意味があったように思う。
今は、この日記だか日誌だかに、日付が入っている意味があるのだろうかと、自分でも苦笑する。

この点を見ると、僕の病状は決して改善していないようだ。
以前にもまして、時は失われ、流されているようである。

病気について、自覚できている点は、たぶん一般的な人だとなんなくできる、それはできて当たり前、できないことがおかしな目で見られる「ちょっと覚える」が不安定きわまりない。

これが、必ず忘れる、としたらそれはそういうものとして、手が打てると思う。
とにかく頻度が中途半端なのである。だから、僕が病気の話をしても、なかなか共感してもらえない。
僕がとにかく、病気を「辛く感じている」事がなかなか理解してもらいにくい。まぁ、仕方ないと思う。
表に現れず、想像しても何が辛いのかイマイチイメージできないだろうと、僕も思う。

長くなった、今日書きたいことはこれじゃない。
でもまー、こんな風に、書き始める前まで覚えていて、キーを叩いている間にどこかに消えていく想いはあるのだろう。

どこで何を中断したのかは、気にしないことにして。
台本というか、あらすじというか、うーん、小説という体を成さないものを書いています。
一通り書いたら、「読める形」に加工したいと思うんだけれど、まずはその、「一通り形にする」ことが可能なのかどうか、とても心配。

まぁ昔から書きたいものの傾向というのははっきりしている。
ヒーロー、ヒロイックなもの。僕は正しく生きたいと思って生きている人間なので、正しい行いをして世の中を明るくする人物を書くのが好きだ。
それから、ロボット。かな。
でも夏目漱石の「我輩は猫である」のように、つまり、人間を横から見る視点の面白さが好きなので、別に金属でなくても、または動物でも、宇宙人みたいなものでも、たぶん書くものは同じ。
フィクションとしての登場人物のなかで「ロボット」という立ち位置に何かおいて話を作るのが好きなのだろうと思う。

最初の発想を得た日を記録しなかったのは、今となっては悔やまれるけれど、いずれにしても書きはじめて長いもので20年、短くても2年くらい経っているはずだ。
前に進めたい、そんな気持ち。

タグ:日記 文字 病気
posted by ZON3 at 15:59| 日記