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2015年01月30日

■一月が終わるなぁ。

■一月が終わるなぁ。

その昔、の、来週くらいだったか、サイトが止まってしまった。
たぶん、perlのCGIで作っていた仕組みが負荷になったんだろうなぁとは思うし、そこの管理会社が予告無く(もしくは予告とは分からない感じで)システムの更新をして、結果、スクリプトがうまく動かなかったんだろうなぁとは予想されるんです。

それで「さくら」に移ってきて、もう何年か経つというのに、いまだに再建できていないのが悲しい。

堂々巡りになっちゃっているのが一番の原因で、……。
まず、方針は静的なHTMLのページを大半にしようと思っています。
自宅のLinux環境を失ってしまったので、保管したデータから静的なページを再建するために、
  • A.一つにはデータからテキスト手打ちで修正してHTMLを生成する。
  • B.または一度CGIを立ち上げてもとのサイトを復旧して、徐々に削って移行する。
……大きくはこんなところなんですが。

手段A.がベターなのですけれど、……記憶が、維持できない。
ここにこうしてタイプして、保存しようと試みるのです。
(このあたりはなかなか他人に共感してもらえない、悲しい)

さて。
動的なページはどうしよう。
実は元の日記ページは結構好きだった。
途中でVineLinuxの活動を始めた当たりでブログ的なことをやろうとして、結果、管理が破たんし、ページもずいぶん見づらくなった。

よく考えてみたら、その時のパッケージャーページ「Cmemo for linux」のページこそ、この「さくらブログ」でやるべきかもしれない。
うむぅ。
この「さくらブログ」をブログにして、日記をFSWikiで復帰させるべきか?
今、気付いたけれど、これが答えのような気がしてきた。

も少し考えてみよう。
posted by ZON3 at 18:30| 日記

2015年01月25日

■使い物になったのは嬉しいけれど

■使い物になったのは嬉しいけれど

タイトルに体言止めが多いのは、この一年ほど仕事とかで書いているテキストの影響が少なからずあります。
……仕事で文を書いているとは言っても、物書きではなくて報告ですが。
ほんのわずかにクリエイティブ。でも創造性はあまりない内容。

事実というものは、存外、伝えるのが困難で、ニュアンスも含めて伝えるのは、実に難しいと思う。
まぁ、古典的電子掲示板(BBS)の時代からの人間なので、その「足らず」の部分は致し方ないと思う。逆に僕の時代の人間は、ただテキストだけの文の文面は半分も信じていないと思います。まず「これってどういう意味かな」と考える。だから、疲れる。だから、関係無い文はスルーしたい。

単品の言葉で「死んで」とあったときに、そこにイロイロなシチュエーションと前提と結末があり得る。
この頃よく書店で「漫画の名言」というジャンルの本がありますが、あれもやはり、漫画本編を踏まえていないと、その単品の言葉だけでは真実が伝わらないと思います。

ちなみに、「○○○○○、死んで!」みたいな言葉が漫画ワンピースでも出てきます。知っている人は、「ああ、あれ。」と分かるでしょう。
話を戻して、正確に伝えにくいなら、曖昧さを残しながら文を書くのもテクニックの一つで、それで最近章文タイトルに体言止めが増えたという次第です。

ほら、たったこれだけでこんなに長い。

さて、主に予算の関係で、時代から遅れたPC環境で作業を続けてきましたが、少しばかりお金が用意できたので、その範囲で最善の運用を模索しました。
若干、「ああ、あれが手に入れば……」というタラレバの部分も残りましたが、何とか、完成しそうです。

結論としては、コンピュータ本体はこのまま。
運用に便利なように構造をいじります。
後は、仕事上の連動をどこに持っていくかですね
とにかくそれが、最大の問題。

僕は、今の職場の中でマイナーグループの所属なので、職場の用意している業務システム上で仕事を完結できません。というか、システム担当との連絡係の同僚も、同一システム上に組み込むのを諦めているところです。
自分の仕事を分離させたい一方で、業務上残さなくてはいけない部分がネックになってます。

今回、仕事でも使えるようなPC を用意して、どうかこの事態の終息を図りたい意図があります。

来週から運用しつつ、なんとか、出口を探したいですね。

posted by ZON3 at 21:16| 日記

2015年01月22日

■手を動かしたいけれど、頭が動かない

■手を動かしたいけれど、頭が動かない

今、自分が何を書きたいのか、自分でもよくわからない。
少しバックアップデータを見て、昔の日誌と比べてみたら、例えば以前は、「この日、この時にこの話題を書く」ことに、何らかの意味があったように思う。
今は、この日記だか日誌だかに、日付が入っている意味があるのだろうかと、自分でも苦笑する。

この点を見ると、僕の病状は決して改善していないようだ。
以前にもまして、時は失われ、流されているようである。

病気について、自覚できている点は、たぶん一般的な人だとなんなくできる、それはできて当たり前、できないことがおかしな目で見られる「ちょっと覚える」が不安定きわまりない。

これが、必ず忘れる、としたらそれはそういうものとして、手が打てると思う。
とにかく頻度が中途半端なのである。だから、僕が病気の話をしても、なかなか共感してもらえない。
僕がとにかく、病気を「辛く感じている」事がなかなか理解してもらいにくい。まぁ、仕方ないと思う。
表に現れず、想像しても何が辛いのかイマイチイメージできないだろうと、僕も思う。

長くなった、今日書きたいことはこれじゃない。
でもまー、こんな風に、書き始める前まで覚えていて、キーを叩いている間にどこかに消えていく想いはあるのだろう。

どこで何を中断したのかは、気にしないことにして。
台本というか、あらすじというか、うーん、小説という体を成さないものを書いています。
一通り書いたら、「読める形」に加工したいと思うんだけれど、まずはその、「一通り形にする」ことが可能なのかどうか、とても心配。

まぁ昔から書きたいものの傾向というのははっきりしている。
ヒーロー、ヒロイックなもの。僕は正しく生きたいと思って生きている人間なので、正しい行いをして世の中を明るくする人物を書くのが好きだ。
それから、ロボット。かな。
でも夏目漱石の「我輩は猫である」のように、つまり、人間を横から見る視点の面白さが好きなので、別に金属でなくても、または動物でも、宇宙人みたいなものでも、たぶん書くものは同じ。
フィクションとしての登場人物のなかで「ロボット」という立ち位置に何かおいて話を作るのが好きなのだろうと思う。

最初の発想を得た日を記録しなかったのは、今となっては悔やまれるけれど、いずれにしても書きはじめて長いもので20年、短くても2年くらい経っているはずだ。
前に進めたい、そんな気持ち。

タグ:日記 文字 病気
posted by ZON3 at 15:59| 日記

2015年01月21日

■インフルエンザが流行する世の中

■インフルエンザが流行する世の中

なんか驚いたのは、前回日誌を書いてから三日以上経ったという事だ。

あれ。

気分的には続けて書いてるような気になっていましたが……。
(まぁ病気なのだからそういうのかもしれない)

さて、タイトルにあるインフルエンザです。
今年も流行期になりました。
なんか今年は伝播の仕方が今までと勝手が違っていて疑問符ですが、流行っているのは間違いないようです。たぶん、医療関係者にとっては、今まさに大忙しの只中でしょう。

介護が必要な身内がいる家庭では、インフルエンザの流行はデリケートになってしまいます。「死ぬかもしれない」という事がシャレにならない事態です。
どっちかってーと、寝たきりの父より以前に肺炎やってる母の方が危険かなー。

でも子どもたちは学校からもらってきちゃうんだよね。仕方ないけど。
今夜娘一号が発熱して、A型の判定が出たわけですが、心構えがよかったおかげか、病院から帰るころには熱が下がり始めていました。吸入器が上手に使えたので、投薬もそれっきりで済むでしょう。昨年とかは、一晩中人間クーラーやってたのですが、今年は一人で寝ています。
で。
薬局で順番を待っていると、半分はインフルエンザでした。その場でみんな吸入していましたが、一人、修学旅行の中学生がいて、なんとも複雑な気分になりました。沖縄から佐賀に来たらしいです。養生するのか、帰還するのか、どっちにしても大変だなぁ。

同じことが、運動部活の対外試合や、交流会でも起きるでしょう。
人が交流する場面で危険が伴ってしまうのは悲しいですね。

アガサ・クリスティーの小説ではありませんが、(あの小説では風疹だったと思います)一つの感染症で、命が失われたり、人生が変わってしまったら、どう回復すればいいやらです。

確かに今、インフルエンザは処置を間違えなければ、当人にとって危険は低くなりました。
でもそれは、そうしようと頑張っている医療界や、技術の大きな働きであり、そして、実はインフルエンザ自体の危険性は何も変わってはいないのだということを、忘れてはいけないと思ってしまいます。

インフルエンザが軽い症状でおさまるとして、でもインフルエンザが相変わらず危険であるとしたら、ほぼ一晩で楽になる現状で、完治していない人間が出歩いて流行を拡大してしまう恐れがあるのではないでしょうか。
と。
「インフルエンザがどこからか流行する」今、そんなことを考えるのです。
posted by ZON3 at 22:56| 日記

2015年01月18日

■今のところ書いてみる。

■今のところ書いてみる。

ごくささやかなやる気で変われるのかもしれない。
知っていても、実際なかなか実行できないのが、この病の辛いところ。

さて、メインのノート型PCがバッテリーを失って幾年過ぎた。またまた仕事環境が変わってきたので、バッテリー無しでは辛くなってきた。そこでバッテリーを求めたのだが、完全に欠品なのだという。困ったものだ。
バッテリーの問題がコンピュータに付きまとう。それが嫌でACアダプタで使っているのだが、コンセントの期待できない場所で使用したいようになってきてしまった。さて、どうする。
今の中古コンピュータは、僕のPCより新しいときている。悩ましい。
ほんと、WindowsOSのサポート切れの問題さえなければ、悩まなくていいのに。ハードウェアがダメになるまで使い続けられるのに。
……正直、いまこの「管理」が一番辛い。ライセンス管理よりもやりたいことがある。でも、超スローペースになった僕は数年がかりで一つのことをやり遂げるようになってしまった。やっている途中でソフトウェアもOSもバージョンアップしてしまう。
その度に僕はつまづいていく。

仕事のことがなければ僕はWindowsを使わなくて暮らせるのに、と八つ当たりしたい時がある。
今はdocx、exlx、pptxファイルが憎い。一太郎もだけどもう疲れた。

……そうか、もう20年か。
1995年ごろ、インターネット上に書き物のホームページを起こしてから、20年になるのか。なんてこったい。今唐突に思い出した。そのころのエントリーのひとつが「ワードプロセッサの呪い」だった気がする。
互換性のない文書が溢れ、僕らが苦しみ、僕は「夢」のフォーマットによって救われることを妄想するという内容だったと思う。
マークアップ言語にすごく期待していた。
でも文字の世界はもっと恐ろしくて(白川 静さんじゃないよ)、そもそもJISの基準からして恐ろしいのだと、知れば知るほど悲しくなってしまうんだ。
書き文字認識に感動して、ザウルスユーザーになったことや、電池で動くことに感動してPOMERAユーザーになったりしたっけ。
画面書き込みがしたくて、ThinkPad X61 Tablet を手に入れたんだった。でも期待したほどじゃ無くって。字はかけてもお絵描きにはもうひとつだった。
そして、ノートPCは重い時代だった。

今僕はスマホで文字をタイプしている。性能的には申し分なく、唯一の壁はキーボードが使えないことだった。でも今はキーボードが使える機種に更新した。
そうそう、去年の夏、遠近両用眼鏡を買って、手元が見えるようになったことも大きいプラスかも。

今日はここまで。
あんまり一気に打つとリハビリにならない。

ずいぶん久しぶりに、「考えて文章を打っている」気がする。
posted by ZON3 at 23:44| 日記