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2012年06月30日

■皆で持ち寄って公務を行う。

■皆で持ち寄って公務を行う。
※この記事は指定機能を試用した再録です。40日くらい前の記事を思い出しながら書くのは、僕にとってすごくつらいのですが……。病気なので何かしていないと鬱に沈みそうなので昼間っから……。
時々、そして絶えることなく、「公務員」というものについて質問されることが続く。

「公務員」と「民間組織」

仕事の何が違うのか、なぜそれまで国や県や市町村主体であったものが、民間に変更されると望ましくないのか、というところが難しいらしい。
……本当は小学校の段階で習っているんですよ、重要な事だから。ただ、その後の社会科の物量的に膨大な学習内容に埋もれてしまうのです。僕もそうでしたし、日本史の年号を覚えたり、世界史の変な名前の偉人を覚えるので忙しかったし。

でもって。
朝鮮出兵や征韓論じゃあ、ありませんが、内政がいまいちの時にいろいろと不満のはけ口が必要です。
それ自体は正常なこと、少なくとも、内乱が起きたりテロが起きたりするよりは、公務員が叩かれたり、政治家スキャンダルが起きる方がまだまし。
戦争は、いけません。ええ。

そういうわけで、公務員批判は今に始まった事ではないし、このように不景気だったり、異常気象だったり、大手の方々の対応に将来の不安を感じたり、命と生活を守るはずの公共サービスの予算が段々と切り詰められてきて、不満も多々あるとわかっています。
ただ、(この当時5〜6月ごろ)あまりにも怖い暴論が報道されていて、視線誘導やスケープゴートにしても背筋が寒くなってしまいました。

公務がなぜ存在するか。
「皆で持ち寄ったお金で、みんなのための物資を買い人を雇って、公の仕事を進める」、という原理のために『中立な立場』の人物が必要だからです。
「皆のため」、もしくは「この仕事のため」という立場の人物。
個人、団体、組織、その他の利益のためには原則働かない、人物と用務。
それが公務員であり、その仕事・サービスが公務です。

で、この割と簡単な原則が理解されていないんじゃないかと、不安です。
話しを「二人」に絞ってもいいです。
意見の違う「私とあなた」がそれぞれ違う金額を出し合って買い物をするとします。
意見が違うし、出した金額が違う、しかし、買い物はしなくてはならないし、二人とも納得する買い物の結果にならなければならない。
この時、私とあなたがそれぞれ第三者を連れてきても、いがみ合いに火を注ぐだけです。
私ともあなたとも関係のない第三者に、権利を任せることで、双方いくらか不満を残しつつも、とにかく事を済ますことができるようになるでしょう。
まずよく誤解されるのが「出せる人が出す」という原理。もともと平等じゃないんですよ。というか、うすぼんやりと思い出しませんか。水戸黄門でもいいんですが。持ってない人や出せない人から無理矢理取り立てるような「野蛮な」行為は厳に慎むべき、なのです。しかしながら、なぜだか思想誘導的に「こんなにも不正に納めないやつが居る、けしからん」という、一人でもけしからんやつがいれば、そのグループ全体を絞り上げようとする弱い者いじめな思想が大声で叫ばれていて怖いんです。
不正は、もちろんいけません。でもそれで全体責任を問われるのはどうでしょう。僕の生徒・学生時代はかなり学校が荒れていましたので、すごく集会が多かった。そして時には厳しい全体責任論な厳罰指導があったのですが、それは納得いきませんでした。全体指導は、わかります。でも、全体厳罰は納得いかない。
※さて、こういう原理なので、持ってる人よりも、持ってない人が多く利用しますし、また相対的に、持ってる人が多く負担する形になります。さらにまた、予算を使いきっても事業は一定継続される(サービス優先)ので、赤字になりやすいです。
なぜ自分たち(みんなですよ)を攻撃するような暴論が出るのでしょうか。
先に言ったように、公務員は公務のための、公共サービスを執行するための中立的な存在です。無人格といっていいです。表現悪いですが、奴隷といえなくもない。
このサービスを受けるのは「みんな」です。公務員は基本的に「透明人間」みたいなものなので、この頃の暴論(あえてそう書かせてください)の攻撃対象は、みんな・自分自身です。一部のこれらサービスを利用しない、非対象な方々には、単に無関係なだけで、誰かが益を得るわけではないです。そうです。
単純に、自分たちで、自分たちの生活を「どんどん悪くしろ!、もっとサービスを減らせ、生活を絞れ!」と、声を上げているようなものです。
そして、サービスに従事する物理的人間である公務員を睨み付けてひたすら文句を連ねる、という……、すみません、僕ら公務員には(少なくとも大部分の末端の公務員には)なんの権限もないのです。なんとかしたくても、何も持っていません。それこそ、奴隷みたいなものですから。

なぜこんな構図なのでしょうか。

  • 公務員の一部に公務を執行しない「名ばかり公務員」のエライ人(しかも一人で20〜100人分くらい一時金もらってたりする)が目立つからでしょうか?
  • 地味な(とてつもなく何しているのか分からないほど地味な)仕事が大半で、額に汗して働くような分かり易さがないからでしょうか?
  • 外仕事をしている時は、公務員に見えないからでしょうか?
  • 守秘義務が強力で、基本的人権が無くて、仕事に関係ないことは喋れないからでしょうか?

中立であることは大事です。
そこにこそ、公務員の誇りがあります。

どのような生まれであれ、どのような仕事であれ、性別が何であれ、年齢や傷病がどうであれ、ともかく、誕生はめでたく、誰でも愛し合って結婚して構わないし、教育を同じように受けてよいし、死別は悲しく、葬式やお墓、供養は大事です。
※先の教育基本法が変更されちゃって、「等しい教育」(原則あらゆることについて)が「応じた教育」(個人の性質のみならず、家庭の経済的側面を含む)にこっそり変えられちゃっているのが、嘆かわしい。読み取り方によっては「収入に応じて無理の無い教育を受けなさい、個人の責任で」となっちゃってます。あぅあぅ。
社会というか、世の中を回す歯車として誇りをもっておりますが、あまりにも本当の奴隷のような扱いがされると、実際の身に危険が及びそうで大変に怖いです。
(この国では「〇〇はやっつけちゃってもいい」という風潮が高まると、実際に被害に遭うような事件が起きる国なのが怖いですね。前例はいくらでもあります。風評被害も似たようなもの。ラベル付け心理の強すぎるお国柄なので。)

予算や給料の仕組みが違うので、「多忙」と言っても「公務員はねぇ(守られとるやろ、違うじゃろ)」と、理解してもらえないことがほとんどです。

仕事は仕事なので、忙しいですよ、普通に。
これ以上働くと、アリさんも死んでしまうんだけどな……(汗)、と、実働の公務員としては気分が暗くなっています。
posted by ZON3 at 22:00| 言いたい