何を書いているんだか、自分で整理がついていない。
たぶん8年?、もしかしたら10年?、日誌を中断せざるを得なかったので、整理がつかなくなっている。
病状が今よりひどかった時も、日誌を書き続けていたので、それを外部記憶として参照し、昨日の私、先週の自分、先月の僕が、何をしようとしていたのかを、知り、だから今日、明日、どうするるか、なんとか繋ぐ事ができていた。
今それができていない。
胸ポケットの手帳、スマホの一行コメント、左手にマジックで書かれた言葉。
これでなんとかしのぐ日々。紙屑が山のようにある。
毎度、この苦悩が誰にも共感してもらえないことが辛い。辛いけれど、それすらも忘れて生きている。
ああ、そうだ、先週もまた、人を間違えた。
間違えたことに気付けない、会話がかみ合わなくて、そこから「間違えているかもしれない」と軌道修正するのは訓練の結果でしかない。
「ああ、間違えた」という実感が全くわかないのだから。
何故日誌が書けなくなったかを振り返っても、僕にとっては意味の無いことである。
何も覚えていないし。
状況から推測するだけの空虚だ。
明日これを続けられることを祈って、明日の自分に向かって書く。
少なくとも、書き続けることで脳の機能の一部を保てていた。
私は書くべきなのだ。
内容は捨てよう、出来も気にしないようにしよう。
思考を文字にする、それでいい。
明日か、明日以降の私へ。とにかく書きたまえ。