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2018年08月22日

■一貫性が無い……

一つの文章を書き始めて、途中から違う話になって……という意味での一貫性が無い。

だいぶんと、記録のブレが大きくなっているようだ。

ところで、(←こんな感じ)
最近Tsutayaに行っても、見たい映画が無い。
見たい映画があった気がするというか、どんな映画でも見ていたというか、なんだろう、この気持ち。

お金ではなくて、「見る時間が無い」みたいな、なんかむなしさ。

アニメでも似たようなもので、こっちは、見ようと思ったら、棚に無いということが多い。
まぁ、すべての作品がライブラリ化されているわけじゃないし。

検索は、言葉を思い出さないと見つけられないし。

いずれにせよ、健忘症は辛い。

タグ:病気
posted by ZON3 at 17:20| 日記

■少し考えてみた

ブログを持っていることを思い出して、思い出しながら書いている。

Twitter連繋なるものがボタンにある事に気づいて試すことにした。

大昔の、HTMLで「サイトを作る」時代の感覚からどうしても抜け出せなくて。

ブログやらTwitterとかで「積んでいく」感覚に、今風のものにしたいなぁと思いつつ、できていないが。
このイメージが近いのかどうかも分かんないけれど、自分流に身に付けば、少しは表向きにできるんではないかと。

そんなことを期待して。

タグ:記録
posted by ZON3 at 23:31| 日記

2018年08月25日

■さてそれでは

8月もいよいよ終わりで、相変わらず忙しく、「あ、これ書いとこう」と思ったことを忘れてしまう。

今はブログとかTwitterに書いているけれど、重要なことは時間に針を刺すことで、遠い昔、ジオシティーズでなんとなく日記を始めたころとは意味が変わってしまった。

いよいよ頭のネジがやばくなってきた。症状は必ず繰り返すもので。
同じ職場や環境で何年も続けることが出来ない。出来なくなる。だから転属や異動を考えないといけない。

現在の法律で、定年まであと10年。
3〜4年しか頭が持たないとすると、3回は異動しないといけない。
定年延長になったらさらに。

やや、うつになる。
タグ:日記 病気
posted by ZON3 at 22:03| 日記

2018年08月26日

■野良SCPテキスト

※前書きです。
2017年の11月ごろでしょうか。
私は一年中、何かに心の救いを求め、偶然の出会いに身を委ねているのですが、とにかく、2017年の秋から年末にかけては辛かった。そして偶然からSCPを知り、強く依存しました。

私は精神が不自由なため軽度の「フォーカスロック」を起こしやすく、自分一人苦しみの後に「SCP」に癒しを求めています。
そうして癒された私は「何かお礼がしたい」と思い(*毎回です)、何ができるわけでもなく悶え苦しみます。(癒しはどこへ行った)
一応、SCP日本支部(サイト)を訪問してみたのですが……。
こうした理由、心の向きが違うので、とても会員になれそうにありません。申し込んだ次の瞬間に凍り付きそうです。
ちなみに、その頃、丁度周年行事中だったSCP日本支部の様子は、とても楽しそうであります。

ただ、私はそこに居場所を見つけられないという話です。精神疾患は、かくも面倒なものです。

さて。
(例によって数秒で)一つネタを考え付いたものの、とても練り上げる気力が続きません。
客観的に判断して、そんな気力があるなら、そもそも私は苦しまない、ですよねー。(行き止まり)
次々、節操なくいろんなものに癒しを求めてフラフラしています。

さてさて。
幸い契約が滅んでなかったので、ツールを使ってSCP(っぽい)「野良テキスト」を投げます。ひとまずそれで私の心のフォーカスは緩みます。
割と条件のハードルは低いです。視聴者は1名もいれば十分で。
万人の目に触れる(可能性のある)ところに出すという、その行為でロックが外れることが経験上分かっているので。
めんどい病のめんどい解決法という感じです。

さてさてさて。
……ほんのちょっとした短文を投げるつもりでいたら、思いのほか、長くなってしまいました。
毎度のこととはいえ、不自由な私です。

※癒しを求めつつ、強度に依存するのが私の病の救い難いところです。

※以下は野良SCPテキストです。

●タイトル「正論のように」

アイテム番号:SCP-1539-JP-EX
(現在参照ナンバーとしてのみ保持)

オブジェクトクラス:
収容時Euclid
→ 「再評価」Safe
→ 「現在」抹消(または取り扱わず Explained)

<最初に読むべき注意書き>
現在SCP-1539というオブジェクトは存在しません。財団が取り扱うべきではなかった異常の事例として、参照ナンバーと一連のテキストが残されています。

  • *以降のテキストでは「元SCP-1539」という表記を用います。

元SCP-1539によって日本支部は一つの比較参照点を得ました。「オブジェクトが何らかのクラスに該当する異常」でありながら、「財団が取り扱うにふさわしくない事例」が、「ゼロではない程度」に、「確実に存在」し得るという事実です。
財団日本支部は、これを記録し、より脅威となり得るクラスを正しく評価するために活用します。

特別収容プロトコル:
なし。
放置して構いません。


[説明]
*これは現在の説明です。*
元SCP-1539は、テキストをクローズした201x年現在において、容易に観測可能な現象です。しかし同時にほとんど注目されず、ほぼ完全に無視されています。
元SCP-1539による現象が観測された状態は、すでに終了であり、安全です。そのままずっと脅威に転じることも無く、以後、きわめて高確率で安全です。存在しないと形容可能なほど摩擦係数の小さな異常現象であり、他のSCPとクロス効果を起こす可能性も皆無に等しく、収容の必要性を持ちません。
また、その原理的性質として収容が意味を為しません。

これら元SCP-1539の扱いは、財団日本支部が元SCP-1539を人類そのものの機能から生じていると評価決定を行ったことを根拠としています。驚異の強度、安全性の評価とは関係ありません
類例する事例については、SCPのインデックスを適宜検索・参照し、元SCP-1539と比較対照を行ってください。本テキストとの比較対照を通して、被対象となるオブジェクトを正しく評価することに役立ててください。

ゼロではない程度の低確率に、元SCP-1539が再評価される可能性があります。その場合は、変更点が参照できるようにクローズ時点の元テキストを残したまま改変を加え、履歴を更新してください。

[説明及び記録]

■発見
1967年 6月 7日、■■県■■■■駅近くに当時存在した店頭の黒板で観測された。
この店舗が主に扱っていた食料品はパン類であり、本来は「パン九時、三時」、と焼き上がりの時間が書かれていたものが「慌てなくても大丈夫」という別の文言に置き換わっていた。
当時、日本支部の中心的関心が月に向けられていたことと、当時の日本人の興味が同様であったため、この異常現象が厳密にいつ始まり、どのような頻度で表れていたのかは不明である。
逆説的に西暦1967/06/07をポインターとして資料に示す。

その後、1週間の経過観察の後、黒板を日本支部へ収容。
収納には標準的な2m x 2m x 2m の個室が用意され、机、資料庫、筆記用具(毎時点検)、監視カメラ、写真機が備え付けられた。黒板は室内の壁面に設置して収納された。


(補遺01)
収容時、既に本部のマストマン研究員より「これはSCPでは無い可能性がある」という懐疑的コメントが寄せられていた。マストマン氏の「故意のいたずら、もしくは無意識のいたずら」という短文は、全く真実に近いものであったが、当時は、あたかも日本支部の力量不足をなじるかのごとき苦言として日本支部(日本人職員)に受け止められた。実際、この指摘は職員にとって愉快なものでは無かった。不幸かつ不愉快なことに、本部との国民性の違いが無意識レベルで職員に精神バイアスをかけ、判断を誤らせたといえる。
すなわち、SCPオブジェクトとして収容した日本支部は、これを徹底的にSCPオブジェクトとして扱った。

[実験記録]
2014年にクローズドされるまでの記録は全て■■■棟のファイルケース保管庫にダンボール詰めにして保管されています。許可を取れば参照可能ですが、資料が単調で膨大なため、利用は推奨されません。

■経過と概要
元SCP-1539の実験結果は毎回順調に進行し、黒板を撮影した写真はすぐに膨大な量に達します。
まず、発生は86%程度で安定しました。実験を行うD級職員の母国語、もしくは平易に扱える言葉で表象します。考えて思いついた言葉、あるいは、メモを元に書き写した言葉でも発生します。人工言語においても同じであり、でたらめな言葉のインプットであっても、表象、アウトプットは読める・理解できる言葉で現れます。同時に必ず何らかの意味を汲み取れる文として表出します。
黒板の面積に可能な限りの長文を書いた場合は、部分的に発生します。

一方、発生する言葉に、個性・キャラクターを感じ取ることが出来ません。会話を行ったり、前後のつながりや複数行の一貫性を見出すことが出来ません。その一方で、出現する一文は意味のある整った言葉になっています。
部屋の隅に設置されたカメラ(アナログ・モノクロ)で実験の様子を観測しても、どのタイミングで字が書き変わっているのか、その瞬間を確定することは出来ません。

実験1987年 8月 23日- SCP-1539- 014356.
この時、転写用に持ち込んだ付箋(ポスト・イット)に現象が移行しました。
担当者は「収容違反」事態のプロトコル開始に騒然となりました、が、事態は途中で停止します。黒板からの移行、それのみで現象は停止し、そのまま個室に留まりました。複数への拡大や職員への伝播は観測されず、以後は机上に置かれた付箋が研究対象と換わっただけです。同時に現象が観測不能とならないように、付箋を適宜、補充する必要が発生しました。
黒板については「破壊実験」の対象として焼却処分されました。何の異変も観察されずに完了し、現象と黒板は独立していることが確認されました。

    実験 1979年 3月 14日
ドイツ系職員が支持された数列を記入。
【結果】
Die Arbeitseffizienz ist gering. と変わった。
 実験 1981年 4月 25日
日本支部職員が会話を試み" Who are you ? "と記入。
【結果】
「まずD級職員で試す、というはどうなんだ」と変わった。
 実験1988年 11月 9日(付箋)
職員が入室前に指示された言葉をつぶやいた。
【結果】
すでに「注意して」と書かれていた。
 実験1991年 6月 10日(付箋)
【結果】
「動物は自殺しないので」
 実験1991年 12月 21日(付箋)
【結果】
「綴りが思い出せない」
 
実験1993年 9月 29日(付箋)
【結果】
「共殺しを殺人と飾る」
……これは精神汚染ではなく、資料の効率化を目的とした書式の簡略化によるものです。

■再評価
200x年 x月 x日、元SCP-1539が長期にわたって極めて安定な性質を持つ異常であることから、クラスSafeへの再評価が行われました。
再評価に伴って、この時の資料が本部のマストマン研究員の目にも再び留まり、氏の提言へとつながります。

(補遺02)
2013年 x月02日
マストマン研究員の提言
「日本支部職員へ
我々財団の財力は無限ではなく、職員は万能ではない。
我々の理念は持続されるものでなければ意味を為さないものだ。
充分に理解していただけると思う。財団は慈善的にコレクションしているのではない。
したがって、この世の怪現象の全てを収容する必要はない。
収容できないから、収容していないのではない。
収容の必要のないものもあるのだ。
諸君。
君たちは一つの異常を手放し、この労力を他へ回すべきだと私は考えている。
どうか冷静な視点をもって再評価を提案する」

(補遺03)
2014年 2月xx日、高齢と老衰のためマストマン氏は死去。
生涯現役の研究員であったが、同時に研究員止まりであった。

■クローズド
2014年 x月 x日、元SCP-1539の詳細な再評価が実施されました。
カメラを簡便なデジタル方式のものへと更新し、収容プロトコルの点検、見直し、実験手順の再評価、資料をビッグデータとして包括的に取り扱い、全体傾向を照合。
以下はその結果。
  • ・文章は、それを読む人間集団の一部をドキリとさせるが、「商業的占い師の助言」と類する傾向を持っている。
  • ・容易な単語を妥当性の高い内容で組み立てることで構成されており、99%の一致を見る資料片も珍しくはない。
  • ・自我意識に相当する存在は一切確認されず、虚偽・詐欺の意図も無しと判断できる。
  • ・理解しやすく構築された言葉に対して、許諾「そうか」と思うように出来上がっているが、裏付けも、その先も無い。
  • ・映像資料 2014年xx月Xx日- SCP-1539- 50351652.、画像分析によって、被験者D職員が自ら無意識に文字を書いている様子が確認された。関連して、意図的に書くことも可能である点を示す。
  • ・結論として、元SCP-1539は、人間の集団心理から発生する異常であり、無意識レベルの集合知の発現と判定するのが妥当である。

<比較ポイント>
 我々財団職員は「精神汚染」「現実改変」「精神感応」といった強度の異常に日常的に接しており、これらに慣れすぎていると言えよう。無論、油断してよい話ではないが、必要以上に警戒し、異常の本質を見誤った例は過去にもいくらでもある。
 本件のポイントは評価と取扱いにある。
  • 元SCP-1539は異常現象である。しかし、通常科学や疑似科学でも説明可能な程度の、極めて小さな異常現象である。したがって、万人がこれを知るところとなっても全く何も問題が無いという結果につながる。反省すべきは、この結論にもっと早くたどり着かなければならなかった、ということだ。
  • 一点、元SCP-1539が光を浴びた「極めて顕著に発現する」という性質も、テキスト内容の空虚さを正しく評価できていれば、会議一つ持つ必要は無かったことである。
  • ・これは人間自身が発生させる異常である。観測する側もまた人間であり、人間には自覚されない。分析すれば異常性の根拠が「本人の記憶・意識との差異」に傾倒していることが明らかとなる。シンプルな比較として、仮に「本人が意識・記憶している」ならば、これは単なるいたずらで終わる。意識・意図が働いていないから異常として観測されているに過ぎない。
 記憶や意識に曖昧性があることは誰もが知るところである。これが外部からの介入、あるいは意図的な介入のケースではオブジェクトクラスEuclidが相当するだろう。しかし元SCP-1539は人間内部からの現象であり、これを拒否するならば、人の「ひらめき・発想」といったものも否定される。
 以上をもって、元SCP-1539を財団の収容から取り下げる。実験は行われない。

(補遺04)
  • *抹消と同時期、SNSの普及がすさまじく、タイピングされ交換される電子テキストの中に当人の記憶にない文言が多数見つかり、日本支部にも集約される。
  • *「IDを乗っ取られた」と驚く人間も大勢いるだろう、実際多くはその通りの人為が働いている。そうした身に覚えのない差異の、さらにわずか1%以下に元SCP-1539が観測されている。


 このように、元SCP-1539は記憶によって成立しています。そして、本人が「覚えていないけれど書いたかもしれない」と思うことと、「誰がこれを書いたんだ」と一瞬思ってからゴミ箱へ捨てること、あるいは気づかないこと、それらに大きな違いはありません。「これは絶対に自分が書いたものではない」と騒ぐことは可能ですが、その時すでに元SCP-1539は終了していて、その先に何かが起きることはありません。
 人間とはそういう生き物だという結論で全てが解決します。
 人間の中には、頑なにそれを認めようとしないものもいるでしょう。しかし、それでも、元SCP-1539(私)は人間そのものの機能なのです。

(補遺05)
以上でクローズドします。
クローズド後の追加事項です。

2014年 4月xx日、故マストマン氏の資料整理中に次のものが発見されました。

〇タイムスタンプの異なるメモの写真、三枚
   3.
3・わずかな期間にどうしてこんなにも多くの収容物が発見されるのか。
Warum werden so viele Artikel in kurzer Zeit gefunden?

4.
4・根拠を示さなくていいのなら、どんなことでも言える。
If you do not have to show evidence, you can say anything.

1.
1・宇宙にとって地球や人類は塵に等しく無価値なのに。
In the universe, the earth and mankind should be equal and worthless to dust.



〇タイムスタンプの異なるログが2つ
  6.
6・人間自身が作り出しているかもしれない。
Die Menschen selbst konnen produzieren.

2.
2・人類の歴史は宇宙時間では一瞬に過ぎない。
Die Geschichte der Menschheit ist nur ein Moment im Vergleich zur Zeit des Universums.

※分頭の番号はマストマン氏によって書き加えられたものである事が確認された。
※「5」を書き加えられたメモやログは見つかっていない。

[コメント]
元同僚、リチャード = ロワ研究員は故人をイメージしつつコメントを残している。
「5のテキストは最初から無いものと考えるのが妥当ですね。
つまりこれは「宿題(ホームワーク)」でしょう。
元SCP-1539という「ハズレ」を知ったことで、
結果的に日本支部の能力は高くなった
そうだろう。
これはつまり、連続していないものを連続しているように見せかける錯覚。
故人は元SCP-1539の無価値を証明するために、抽出したセンテンスを使って錯覚が起こせることを示す準備していたと考えられる。
あるいは、また。
彼自身が大きな成果を上げていない研究員どまりなせいで、彼の経歴は空白だらけ。
そこで私が一言「マストマン?、そんな奴は知らないな」と言えば、どうなるかな?諸君。
そう、違和感は作り出せるんだよ。」

以上でクローズドします。

※野良SCPテキストは以上です。
「それっぽい」と感じていただければ幸いに思います。
一応、身近な現象からねたを起こしています。

posted by ZON3 at 23:33| 創作

2018年08月28日

■納得いかない、なぁ

冒頭から横道にそれるけれど、「これ」が基本的に日記だから、僕としてはぜひ過去の、何年分もあるテキストを復活させたい気持ちがある。

あるけどしかし、今後また、フォーマットの移行が発生するとしたら、心が折れそうだという予感がある。

で、勇気が出ない。

さて。
本題に戻ろう。

かつてHTMLを手書きしてサイト(ホームページ)を作っていたので、どーしても、エディターの支援がしっくりこない。いや、入れ子状態にマークアップを指定していく変態作業に何の意味も無いことは分かっている。
理屈では分かっているのだけれど、なんかこーーーーっ、違う。
まぁ、懐古心が強く働いているとは思っている。
自分が一番気持ちよくタイプできた時代の環境は、どこにもない。
コンピューターの性能としては百分の一か、千分の一くらいの違いがあるはずなのに。だな。

あの頃のキーボードは無い。
当時のエディターは現在のOSでは誤動作する。
フォントも文字コードも拡張された。(かつての方が当然限定的)
管理のファイラーも無い。
OSも無い。バージョンも違う。ビット数も。
搭載メモリも単位からして違う。
IMEに予測変換は無かった。
というか、オムロンのWnn使ってたんだけれどね。

心が納得できないのは、これだけ高性能になったのに、快適にタイピングできないことだ。
やっぱ脳が老化しているから?、まぁそれはあるだろう。

私はいまだに無属性のエディターなしにはテキストが打てない。
ワープロはエディターの次に使っている。

何だろう、使いやすさとエディターの性能は別なのか?
それとも、便利な機能を老化のせいで使えないから、不足を感覚するのだろうか。

話しかけて動作するアシスタントのいる時代に、何かが「思ってたのと違う」とモヤモヤするのです。
全文表示
タグ:言いたい
posted by ZON3 at 19:56| 日記