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2013年07月04日

■それでも幸せなのだろう

■それでも幸せなのだろう

毎日、朝に、仕事の合間に、あるいは仕事中でも、食事中も、トイレやフロの時も、夜も、運転中も、音楽を聴いていても、ニュースを見ていても、子どもと語らっているとき、遊んでいるとき、叱っているとき、薬を服用するとき、コーヒーを飲むとき、腕時計をとるとき、鍵に手を伸ばすとき、携帯の所持を確認するとき、着替えているとき、歯を磨いていてさえ、奥様の体を抱きしめている瞬間さえ、あるいは、今、眠りに落ちようとする時ですらも。

僕の頭は常に何かを考えている。
休むことができない。
そしてそれは、生産的ではないので、
、、、気が散っている、といえると思う。

こうやって、文章をこねくり回している時、
本を読んでいる時、
それだけが、考えが集中できている。

ただ、かわりに周りが見えず、時間の経過はわからない。

昨日、去年一緒に働いていた人のお通夜に行った。
そして受付で自分が香典袋を落としたことに気が付いて、軽くパニックになった。

このところの仕事の忙しさは家族の不評を買っている。
何とかしたいと、自分でも思う。

その、職場では次々とやっかいな出来事が起きる。
ただ、ほとんどの場合、僕は当事者ではない。丁度僕は今の職場ではかなり妙な立場で仕事をしているので、少しだけ外側に立っているのだ。
(首を突っ込んでもいいんだけれど、でしゃばるのも気が引ける、という意味でも、立ち位置には気を遣う。今の職場では『担当』を頭の横に置いておかないとすることを見失う恐れがありますのだ)

創作的な事がやりたいと思うのだが、実行できない。ウェブサイトも『データの結合』で再開作業が止まったままだ。
一応便利な電子文具の力を借りて、アイディアは失わないように記録をとっている。

だから、まぁ、そうやって自分の表現をする、したいという気持ちを、まだ無くしてはいないから、
活動再開が随分と未定だとしても、

それでも幸せなんではないかと、ついさっき、思ったのでした。



posted by ZON3 at 23:18| 日記